一人の旅行者の視点から考察する“社会”と“時代”【愚か者、中国をゆく】

 近年、中国は先進諸国に負けず劣らず、インフラをはじめとして、さまざまな発展を遂げている。
 上海や北京などの大都市に立ち並ぶ高層ビルや、13億人を超える人口を巨大なマーケットとして世界が注目していることからも「中国がアジアにおける大国である」という認識自体は間違っていないのではないかと思う。

 

 

「数年前までは、なにもなかった場所に高層ビルが立ち並ぶ」-
 そのような、多分にロマンを含んだイメージを、中国に対して抱いてはいるものの、数十年前の中国を実際に見たことがないため、現在の発展に至るまでの成長の経緯といったものを、教科書的な教養としてしか知らない。

 そのため、自身の“中国感”が、些か杓子定規なものではないかと感じていた。

 

 

 最近の中国関連のニュースに触れる中で、上述の思いが強くなっていく中、大学時代の中国語授業にける論文の課題図書としてあげられたにも関わらず、一度も真剣に目を通していなかった中国に関する本を自室の本棚で見つけ、「いっちょ真剣に読んでやろう」と思い手に取った。それが、今回紹介する星野博美さん著作のノンフィクション旅行記である。

 

愚か者、中国をゆく (光文社新書)

愚か者、中国をゆく (光文社新書)

 

  

 著者である星野博美さんは、著作「転がる香港に苔は生えない」で大宅壮一ノンフィクション賞(ノンフィクション界の芥川賞や直木賞のようなもの)を受賞した方である。本書「愚か者、中国をゆく」は、そんな大宅賞を受賞した作品よりも後に出版されたものの、時代背景としては、それ以前であり、著者の原点ともいえる。

 

 本書は、1980年代、大学に入学した著者が、中国に憧れるものの中国への留学ができず(※)、妥協してイギリスから中国に返還される以前の香港のとある大学に留学した後、休暇で、“中国”本土を、アメリカ人の友人と旅行した際の旅行記を中心とした内容となっている。
(※)当時の中国は、外国人の自由旅行が事実上可能になったばかりで、貴重な外貨を外国人からがっぽり搾り取ろうというのが中国政府の方針であり、留学費用は国費留学を除いて、費用が馬鹿高かったそうだ。

 


 本書における中国は、文化大革命の混乱がようやく収まり世界に向けてその扉を開き始めた1980年代の中国である。

 1980年代当時の中国国民の市井における生活様式や文化、制度など、旅を通じて見る当時の中国の様々な現実から、著者が背景や国民性を学ぼうと努力しながら、考察し、自分なりの“中国感”を形成していく内容となっており、著者のユーモアやウィットに富んだ洞察および感性を含めて、興味深く読み応えがある。

 ともに旅行したアメリカ人との仲たがいなど、旅のどたばたも多く語られ、どんどん読み進められる。

 


 中国という広大な国土を持つ国の社会にどっぷりと浸かり、異文化に対する理解を深め歩み寄ろうとしながらも、中国社会そのものに迎合しているわけでなく、あくまで冷静な目を持って、事柄を見つめる著者の“生き様”ならぬ“旅ざま”は、旅での実際の行動はどうあれ、その感性ひとつとっても、とてもじゃないが“愚か”とは言い難い。

 

 また、1980年代当時の中国に関する描写が面白いのはもちろんのこと、“旅”そのもに関する考察も非常に面白いものとなっている。
 例えば、「自分を現実より大きく見せるために『高くて有名なブランド品を身につける人』に対して、『非日常を求める旅人』らは、自分たちと異なる価値観を持っていると感じる傾向にあるが、実はその本質は同じなのではないか」との著者の考察には、頷けるものがあると感じた。
 ようするに、「知る人ぞ知るブランド品を身につける人」と「人に聞かせてなんぼである“旅”をする旅人」は両者ともに、あるまとまった数の他者の視線を意識しているという点で似ていると著者は述べているのである。

 

話を中国に戻そう。
 社会主義を掲げ、“平等”を是とするのが基本原理とされる「中国」と、合理性を追求し、“競争”を是とする資本主義の「日本」との構造の違いが、当時は今以上に際立っており、両国の風土を感じ、比較することで、中国の社会構造をしやすかった時代であったのではないかと思う。

 しかし、この時代は、新たに始まった中国の改革開放路線に伴い、中国国民の中に、がむしゃらにがんばるという感情が芽生えた、過渡期ともいえる時代でもあり、すでにこの時代に中国が急成長を遂げる萌芽は確実に存在していたことが本書からは読み取れる。
 そうした過渡期を直に経験した著者は、本書の後半で、急成長を遂げた中国に対して一定の理解を示しながらも、その早すぎる成長に対して、時代に取り残されるような切なさを感じている。

 

 本書の初版が発行されたのが2008年。すでに10年近い月日が流れている。“今”の中国に対して著者はどう感じているのだろう。気になるところである。

 

 

改めて、星野博美さん、大学時代、こんなに面白い本を読み飛ばしてしまい、本当にごめんなさい。
一路平安-!

 

【文/三田稔】