社会と人間と言語と。【偉くない私が一番自由】

 ボルシチ、ペリメニ、キャビア、黒パン・・・etc。ロシア料理はいくつか知っており、どれもおいしそうだと思ってきたものの、一度も食べたことがないことに気づき愕然とした。

 

 

 どこか開放的な題名と編者の佐藤優さんの名前に惹かれて本書を手に取るまで、恥ずかしながら、これまで米原万里さんの著書を読んだことがなかった。今回、本書を読了して、作家・ロシア語同時通訳などで活躍された米原万里さんの豪放磊落(女性にふさわしい表現かわからないが)ともいえるような人間的魅力の一端に、初めて触れることができたように思う。

 

偉くない「私」が一番自由 (文春文庫)

偉くない「私」が一番自由 (文春文庫)

 

  

 本書は、ロシア語通訳・作家・エッセイストとして活躍された故米原万里さんの作品を、米原さんの没後10年に際して、生前関係が深く盟友とも呼べる関係であった佐藤優さんがよりぬき、一冊にまとめたものである。

 

 

 米原さんがロシア語の通訳の第一人者であり、ソ連時代からロシアとの縁が深く、かつ健啖家でもあったことから、編者の佐藤さんは「シェフ」となり、作品をソ連時代のロシア料理に見立て、前菜・ワイン・メインディッシュといったフルコースとして、ときに解説を交えながらユニークに紹介している。

 

 

 9歳のころ、父の仕事の都合でチェコに移り住み、すべての授業をロシア語でおこなうソビエト学校で小学校生活を送ったという米原さんの作品は、ロシアという国の造詣にあふれているだけでなく、単なる文化の紹介にとどまらない、そこに住む「人間」の内面・生活をひしひしと感じさせる内容となっており「はっとさせられるもの」から「くすっと笑えるもの」、「心温まるもの」までバリエーションがとにかく豊かである。

 

 

 これらの作品を通して、特に私が印象に残ったことが3つある。

1つ目は、米原さん自身の経験を通して語られる日本とロシアの教育の違いである。
元々、常日頃から教育論やなんだのにうんざりしてしまう私ではあるが、米原さんの語る教育は、すとんと腑に落ちる感があり、実際のロシアの教育の一端を知れるという新鮮さもあいまって非常に楽しめた。日本の教育や社会の成熟度は10年以上前から、なにも変わっていないのではないかと、私が感じるのは知ったかぶりの妄言か。教育というものの実務や研究に関わる方々が、どのように感じており、これからどうしていきたいと思うのか興味が沸いてくる内容だった。

 

 

 2つ目は、ソ連時代の独裁者スターリン嫌いの米原さんが、スターリン著「マルクス主義と言語学の諸問題」の邦訳に触れ、その内容の圧倒的大部分が、今日の常識に照らし合わせても、客観的に説得力があると感じるところである。
1900年代当時のマルクス主義の主流が、優勢民族・言語が劣勢民族・言語を吸収して当然とあったのに対して、スターリンは自著で多くの民族の自決をうたい、民族の概念規定に言語を不可欠とするなど、あらゆる民族や言語というものの重要性について主張しているそうだ。しかし、スターリンは、このように民族と言語の重要性を把握していたからこそ、徹底的に残虐にチェチェンやクリミヤ・タタールなど、ソ連内の少数民族に対する絶滅作戦を行うことができたのだろうと、米原さんは述べている。
「『悪』はまともさの延長線上にある。だからこそ恐ろしい」
誰もが、はっとしてしまう。そんな名言であると思う。

 

 

 3つ目は、「言葉」の自由さに関することである。
佐藤さんが語るには、米原さんの人格や考え方は、帝政ロシア時代の詩人・ネクラーソフの影響を多分に受けているとのことである。本書に収録された作品内でもネクラーソフに関する卒業論文内はもちろんのこと、ネクラーソフの名は頻繁に登場し、貴族に生まれながら、民衆に寄り添い続けた人物であることが読み取れる。米原さんは、そのネクラーソフの詩を引用しながら、「言葉」の自由さについて考察している。
「どこからも文句のこないような、いわゆる一方的で閉じられた神の言葉であろうとするかぎり、言葉は不自由極まりなく、逆に、一個人に過ぎない『私』の言葉であれば、偏向した発言をする自由すら得て、切実にも激烈にもなり得て、心に響く」旨を、米原さんは述べている。思わず、関係あるかないかは別として、「正論バカ」といったフレーズが、頭によぎってしまった次第である。

 

 

 以上、3つ印象に残ったことを述べたが、このほかにも、佐藤さんの米原さんとの関係についての佐藤さんの記述などシェフとしての佐藤さんの記述も面白い。米原万里さんという人物をあくまで佐藤優さんの視点で描写していると私は感じたのだが、そこが楽しく感じた。

 

 

最後に。
個人的に、米原万里さんの作品やそのほかネーミングセンスがツボである。猫の名前に「無理(むり)」と「道理(どり)」、著作の名前が「不実な美女か貞淑なブスか」などなど。

著作に関しては、内容を知らずとも、タイトルだけで思わず手に取りたくなってしまう。近日中に、いそいそと本屋に出かけていく自分の姿が目に浮かぶようだ。

 

【文/三田稔】