“俗”におちる【二重生活】

 

はじめまして、三田と申します。

 

拙文ではありますが、何卒よろしくお願い致します。

 

 

今日は、先日映画化もされた小池真理子さんの小説、

 

「二重生活」について紹介したいと思います。

 

 

二重生活 (角川文庫)

二重生活 (角川文庫)

 

 

〈あらすじ〉
大学院で心理学を専攻する白石珠は、大学のゼミで知ったアーティスト、ソフィ・カルによる「無目的かつ無作為な尾行」、「哲学的・文学的尾行」の実行を思い立ち、近所に暮らす所帯持ちの男性、石坂の尾行を開始する。そこで、石坂の不倫現場を目撃する。そうした中、珠の同棲相手の男にも年上の女性の影がちらつき…

 

 


なんの変哲もなく、特に意味も意義もない行動だけれど、

不思議とワクワクする行動ってありませんか?

 

この小説の主人公「珠」にとって、それは”尾行”だったのかもしれません。

 

大学の哲学の授業で知った、”文学的・哲学的尾行”に魅力を感じ、

それを実践する「珠」。

 

本編では、本来、”文学的・哲学的”な観念に基づいて行われるはずであった”尾行”が、

徐々に「珠」の私生活及び心に深く影響を与えて行くさまが、

やわらかな文体で描かれています。

 

 

”文学的・哲学的”という、ある種、高尚にも感じられる行動が「珠」の私生活に絡んでいくことで、

表面上ひどく俗っぽい、ありきたりなものになっていく様は、興味深いです。

 

 

自分の中ではとても魅力的なアイディアのつもりなのに、

口に出した途端に、一瞬で色褪せてしまうような。

自身の言葉の軽さに無性に腹が立って、

「言いたいことはそうじやない」を何度も心の中で繰り返してしまう。

 

 

小説が進んでいく中で、「珠」の心に募っていく苛立ちも、

「言いたいこと(意図)はそうじゃない」から生まれているように思います。

 

 

他人の生活を垣間見て、自身の生活を省みる。

「珠」は石坂の秘密に魅せられたが故に、表面上、”哲学”を失い、

俗っぽさを帯びるに至ったのではないでしょうか。

 

 

あらすじだけですと、ドロドロした内容に思われるかもしれません。
しかし、小池真理子さんの文体もあいまって、

驚くほど静かな、さっぱりとした構成になっています。


この種の小説に付き物な”性”の生々しさが感じられないのも魅力です。

 

 

最後に。
小池真理子さんの書く”生活”の丁寧さが好きです。
なんだか、小腹が空いてしまうんだなぁ。

 

【文/三田稔】