「海行きたいね」と彼女は言った。【ボクたちはみんな大人になれなかった】
こんばんは。
あかまつです。
突然だけど、「大人になる」ってどういうことなんだろう。
大学の先輩がすごく大人に見えたあの頃。
20歳になれば大人になると思っていたあの頃。
働き始めれば大人になるんだって考えたあの頃。
そして今。
大人になるっていうのは年齢じゃないことに気づいても、大人になる方法がわからない。
26歳になってもそんなことを考えるし、多分この先も考え続けるんだろうな。
誰もが漠然とした生きづらさを抱えながら、なんとなく必死に生きていく。
やるせなさ、どうしようもなさ、切なさ、それでも愛しいと思う心、
今日紹介するのはそんな感情の機微を的確に表現した小説です。
『ボクたちはみんな大人になれなかった』
17年前、渋谷。大好きだった彼女は別れ際、「今度、CD持ってくるね」と言った。それがボクたちの最終回になった。17年後、満員電車。43歳になったボクは、人波に飲まれて、知らないうちにフェイスブックの「友達申請」を送信してしまっていた。あの最愛の彼女に。
とっくに大人になった今になって、夢もない、金もない、手に職もない、二度と戻りたくなかったはずの“あの頃"が、なぜか最強に輝いて見える。ただ、「自分よりも好きになってしまった人」がいただけなのに……
あらすじだけだと、普通の恋愛小説かな?って思うけど、読んでみると全然違う。恋愛は一つの要素にしか過ぎない。
舞台は東京。90年代の自分と現代の自分の視点で物語は進んでいく。
かつての主人公は、物事が猛スピードで動いていく東京という街で
日々何も目的も持たずに、ひたすらエクレア工場でエクレアをパッケージする毎日を過ごしていた。
そんな生活を変えてくれたのは、変えようと思ったのは、彼女と出会ったから。
しかし幸せな日々は不意に終わる。現実では続くことのほうが珍しい。
「今度、CD持ってくるね」それが主人公と彼女の交わした最後の言葉だった。
もちろん彼女と別れてからもたくさんの人との出会いと別れを繰り返していく。
それでも、彼女が自分の中に残していったものはとても大きくて。
引きずっているわけでも未練があるわけでもない。
自分の一部になってしまったものは簡単には消えない。
そのもどかしさが何とも言えない。
出会ってしまえばもう、出会う前には戻れない。
個人的には作中に挟まれるJ-POPの使い方が印象に残った。
村上春樹のジャズよりずっと文章のイメージが湧いてくる。(もちろんジャズを知らなくてJ-POPのほうがわかるというだけだけど)
そういえば音楽と記憶って密接に関わっている気がする。
街中でふと聞く音楽が、あの子が教えてくれた音楽だと、
否応なくあのころに引っ張られる自分がいる。
とくに音楽に関心がない自分には、 好きな人の好きな音楽が好きだった。
自分を構成しているものって、
結局はほかの誰かが好きなものの積み重ねなんだと気づいた。
音楽だけでなく、行った場所も記憶の触媒として使われる。
今の時代SNSにはたくさんの情報が溢れていて、
SNSでもあの頃を容易に思い出させてしまう。
嗚呼、心のどこかを鈍くしないと毎日が生きられない。
痛みに慣れることが大人だというなら、 大人にはなりたくない。
そして僕たちは大人になれなかった。
でも実際は、
大人になれなったとうそぶきつつ、僕たちは生きている。
どうしようもないぐらいに。
現代人の心を優しく包み込んでくれる、
優しい小説です。
「自分より好きになった人はいますか?」