僕には何かを作ることはできない。【『高原康平の世界観』:連載第2回】
香川県でフリーランス・プレイングマネージャーとして、企業数社のマーケティングサポートを行っている高原康平さんの連載「高原康平の世界観」
第2回は「僕には何かを作ることはできない」です。
前回までの記事はこちらから▼
(以下、本文)
僕は作り手が好きだ、表現者が好きだ。
人と違う道を歩む人のことをかっこいいと思う。
もちろん違おうと思って違ったわけでない人もいるだろう。
たまたま違っただけの人も多いと思う。
「人と違う」ということを自覚しながら、それでも「自分はこうしたい」という「己」を持っている姿勢がとても好きだ。
なぜなら僕には「己」がなかったから。
実は、今もあまりないかもしれない。
でも、もしかしたらその人自身も、自分では「己」がないと感じているかもしれない。実際のところは、「自分は『己』を持っていると思えている人」なんていないのかもしれない。
それはさておき、僕はそんな作り手、職人、一つのことを追求し、どこまでもいいものを作ろうとする姿勢がある人をとても素敵だと思う。
そして、そんな人々が作り出す素晴らしいものを求めてやまない人も、市場にはたくさんいる。
ただ、そうした素晴らしいものはありながらも、世の中に届ききっていないのではないか。
市場までその人の素晴らしさが伝わりきっていないことも多いように思う。
そうして、届きやすい商品やサービスの利用で満足してしまっている人が多くいるのではないか。
届きさえすれば、その人が相応の評価を受けることができるのに。
それがすごく勿体無いと思う。
香川県の近隣の島、小豆島にそうめん屋さんがある。
小豆島は伝統的なそうめん産業が栄える場所だ。
ただ、そうめんは斜陽産業であり、年々廃業する方が増えている。
そんな中で、あるそうめん屋さんでそうめんをいただく機会があった。
「あまり巷には出回らない”生そうめん”というものなんですよ」
それは美味しかった。
ありふれた存在であり、違いなどないのではないかと思っていたそうめん。
けれど、そのそうめんは美味しかった。
僕はこのそうめんをもっと多くの方に届けたいと思った。
僕たちは資本主義の中で生きている。
これからは主義を、場面に応じて使い分けて生きていけるようになると思うが、それでもメインは資本主義であろう。
資本主義とは、市場原理に則り、より良いものをより適切な対価で手に入れることであるはずだ。
ただ現状は、「うまくできる人」が適切な対価をもらっており、「より良いものであること」とはイコールではない。
僕はそれをイコールにしたい。
市場に受け入れられるということは、いいものであるはずだ。
そしていいものであるということは、消費者も喜ぶはずだ。
そんな世界を作りたい。
いいもので溢れ、その結果、それを作る人、表現する人が評価される世界を作りたい。だって、そんなに頑張っている人が、頑張っていない人よりも認められてないのは、なんか嫌な感じがする。
現状、そういったことを紹介するメディアなどは増えている。
けれど、そうじゃない。
魚をただあげるのではなくて、魚の釣り方を教えるように。
一過性の支援ではなくて、血となる肉となる支援を。
「こだわりを広め、人々を豊かに。」
僕は何かを作ることはできない。
僕は何か一つを追求することはできない。
だからこそ、そんな人の助けになりたい。
僕もそんな誇らしいことの一部でありたい。
そうして、いいものが、いいものを求める人に使われる世界を作りたい。
それが僕の仕事だ。
僕は影でいい。
後ろからお日様を見て、「今日もあいつ俺のおかげで輝いてんなー」ってニヤニヤするのが、何よりも好きなんだ。
(写真:筆者撮影。筆者がこのエッセイをイメージした写真)
(文/高原康平/香川県内でフリーランス・プレイングマネージャーとして、企業数社のマーケティングサポートを行う。最近は乃木坂46が好き)