愛と友情の中華料理【映画の食べるを楽しむ:「シュリ」】
ちょっと触れるのが遅いが(※いや、かなり遅い)、平成がそろそろ終わるらしい。
ここで平成を振り返ることでもできれば、気が利いているのだが、僕にはそんなことができる記憶力も知見も胆力もないので、直近の2018年のニュースを振り返ってみる。
2018年も思えばいろんな出来事があったなと思う。
個人的には、なにかと朝鮮半島に関する話題を目にしたり耳にすることが多かったような。
そういえば、昨年の平昌オリンピックを皮切りにこれまでの変化とは少し違った変化が起きたように感じるのがその理由だろうか。
トランプ氏が金正恩氏を、国連の場で「ロケットマン」と呼ぶなど、アメリカと北朝鮮が一触触発の状態に感じられたのが打って変わって、初の米朝首脳会談が開催されたり、韓国と北朝鮮の首脳が手を取り合って板門店で会談を行うなど、緊張状態が緩和されたとするような報道も目立った。
この情勢の良し悪しは、賛否両論あるだろうし、僕にもわからない。
ただ、今後どんな形であれ世界の様々な問題が解決されて、将来的な平和に繋がるのであれば嬉しい。
これまでも様々な展開を迎えてきた朝鮮半島情勢。
今後どうなっていくのか全く予想できないとのことで、若干の興味も湧く今日この頃。
今回は、そんな朝鮮半島の南北関係をテーマとした作品で、かつて韓国で一大ムーブメントを巻き起こした映画「シュリ」と同映画に登場する食事について紹介させてもらえれば。
〇 シュリについて
1999年に公開された映画で、ラブストーリー要素あり、サスペンス要素あり、アクション要素ありの韓国映画である。
韓国に潜入した北朝鮮工作員(女性)と韓国諜報部員(男性)との悲恋を描いたラブストーリーでありながら、南北関係にスポットを当てた社会派作品だ。
今でこそ、こうしたテーマの作品は珍しくないが、当時としては革新的なテーマだったそう。
北朝鮮工作員と韓国諜報部員という決してあい入れることのない立場の二人。
この二人が南北の思惑に翻弄される様は見ていて切なく、生まれや育ちは違えど同じ「人間」であることや分断された民族の悲哀を感じさせる。
〇 愛と友情の中華料理
劇中、主人公で韓国情報部員のジュンウォンとその彼女・ミョンホンはジュンウォンの相棒のジャンギルと3人で観劇に出かけるシーン。
3人の様子からは
ジュンウォン・ミョンホンカップルとジャンギルが良好な関係を築いていることが伺える。
和気あいあいとした雰囲気で観劇を楽しんだ後は、3人で屋台の立ち並ぶ市場(?)のような場所で食事をすることになり、大皿の中華料理を食べる。
(※字幕は向かいに座るジャンギルに向けて言った言葉です)
3人ともリラックスした表情を見せ、会話も弾む。
食事中、ミョンホンはジャンギルの、とある行動がきっかけで酢豚を箸で取り損ね、向かい側のジャンギルの席まで酢豚を飛ばしてしまう。
ジャンギルの服を汚してしまったことで、ミョンホンは布巾を取りに席を立つこととなる。
(※ジャンギルのとある行動については、ネタバレの可能性もあるので、本編で確認してほしい)
その後、ジュンウォンとジャンギルは、しばし席に2人となり、ビールを注文する。
そこで、雑談の中で、2人は日々の情報部員としての任務に対する思いを、どちらからともなく、お互いに話し始める。
同じ職場の男2人で話すことといえば、やはり仕事の話になってしまうものだろうか。
ジュンウォンは任務の最中、相棒に危機が迫ったとしても、任務を優先すると言う。
それに対し、ジャンギルは相棒を優先し、助けると返答する。
そしてビールを乾杯。
2人の間には意見が食い違うことへの反発や憤りはなく、
まるで実際その場面になれば、お互いがどういう行動を取るか知り尽くしているといった様子だ。
単なる職場の同僚としての立場を超えた「相棒」としての友情にも似た感情が感じられる。
この会話が後半のシーンのための布石になっているように思う。
見直すと少しセンチメンタルに感じるシーンだ。
ちなみに、このシーンで登場するビールについても一つ小話を。
登場するのは、ごく一般的な瓶ビールに見えるが、日本で通常給仕される瓶ビールとは違うところが一つある。
それは、瓶ビールの飲み口が紙ナプキンのようなもので巻かれていることだ(※日本でもあるのかもしれないが、僕は出会ったことがない)。
「飲み口を拭いてから飲んでください」との意味のようで
どうも、ビールの製造工程で瓶が汚れている可能性があることが理由らしい。
東南アジアなんかでも見られる習慣なんだそう。
調べるまでは、炭酸が抜けるのを少しでも防ぐためのサービスか何かかと思っていた。
よく考えれば、そんな紙を少し巻いたくらいで、気体である炭酸を封じ込めることなど出来るわけなかろうに。
僕が知らずに遭遇していれば、そのままゴクゴク飲んだに違いない。
色んな意味で清濁併せ呑む人間になりたいと常々思っているが、これいかに。
(文/三田稔/ライター)