葛飾北斎と僕。【北斎とジャポニズム_HOKUSAIが西洋に与えた衝撃】

どうも、大晦日は鹿児島の実家で家族と過ごす、とみーです!

 

 

突然なんですが、僕はアートが好きで、休みの日には美術館めぐりや近代建築を見に行ったりとかしながら、過ごすことも多いんですね。
目で見て、その美しさや芸術性に感動するだけでなく、作品を通してさまざまなことに思いを馳せるのが好きです。

 

 

こないだ所用で、東京に行く機会がありまして、時間があったので、国立西洋美術館で「北斎とジャポニズム_HOKUSAIが西洋に与えた衝撃」展を見てきました。

今回はその展覧会について紹介したいと思います。

 

hokusai-japonisme.jp

 

たぶん、みなさん、歴史の教科書なんかで「葛飾北斎」の名前は聞いたことがあると思うんですけど、意外に、彼の人柄であったりとか、その生涯については知らない人も多いのではないでしょうか?

 

 

実は、僕もその一人でして、今回めっちゃ勉強してきました(笑)
ぜひ、紹介させてください!!!(さすがに全部は無理ですが...悔しい)

 

 

北斎が絵を描き始めたのは、6歳からでした。それから90歳でその生涯を閉じるまで、彼の人生は絵とともににありました。
あの有名な「富嶽三十六景」は、彼が70歳のころの作品です。

 

 

その生涯で、数多くの素晴らしい絵を遺した北斎ですが、80歳のころには、自身の娘に向かって、涙を流しながら「私は猫の絵一枚ですら、満足に描くことができない」と言うほどに、絵に対してストイックでした。

 

 

死の間際、「あと10年、いや、あと5年あれば、生きていると見紛うほどの『本物の絵』を描くことができるのに...」と言い残したそうです。

かっこいい...

 

 

北斎の絵にはたくさんの特徴があるそうなのですが、ここではその中でも僕が印象に残った2つを紹介したいと思います。

 

 

1つは「インパクトのある構図」です!
北斎は、色彩のある絵画を描く以前、当時で言うところの小説の挿絵を描いていました。
当時の小説の挿絵と言えば、白黒が基本で、いかに大胆な構図で人の目を引くかが、重要でした。
北斎も、それを意識して、こだわったことで、構図に関する技術を身につけたといいます。
そうして身に着けた、素晴らしい構図の技術にカラフルな色がつくことで、より作品の完成度が増し、広く当時の民衆にも受け入れられるようになったんですね。

 

 

2つ目は「アンテナの広さ」です!
北斎は自分の殻に閉じこもることなく、古今東西さまざまな絵画の技法を研究し、習得しました。
中国の絵画を研究して、自身の作品に取り入れたり、自身が触れて「いいな」と感じた作品があれば、すぐに描いてみたりしました。
そして、そこからオリジナル技法や作品を生み出そうと努力しました。
広いアンテナを持つことで、彼の作品は進化を続けていったわけです。

 

 

以上で、北斎の絵については終わりなんですけど、人柄も独特で素敵なんですよね~。

 

 

創作意欲を保つために、90回以上引越しをしたりとか、部屋は散らかり放題であったりなんかは、まだ序の口で、
売れっ子絵師であるにも関わらず、お金に無頓着であるがゆえに、お金が全然なくて、困っている時期なんかもあったんですよ。
それも含めて、僕は北斎の魅力であるように感じています。

 

 

葛飾北斎の絵の魅力だけでなく、その人柄も深く学べた展示会。
僕は、北斎にはなれないけれど、その生き方から学べることは多く、今回の展覧会は確実に僕の生き方にも影響を与えたように思います。

 

 

ぜひ、みなさんもこの展覧会に行く機会があれば、北斎の絵を通して、北斎の生き方やその思いの一端に触れてみてほしい。
そんな風に思います。

 

 

とかなんとか、まじめな話をしましたが、今日は大晦日ですね。
1年も終わり。
来年も、「とみー」ともども、「hontopia」をよろしくお願いいたします。

よいお年を。

 

 

(文/とみー、編/三松文庫)